断捨離しなくてはと思いながらもなかなか進みません。捨て活マラソンは2024年からやっていますが挫折を繰り返しています。
でも最近、終活を見据えた断捨離の必要性を感じることが立て続けに起きました。
1.親戚が亡くなりその遺品整理をしなくてはならなくなったこと。
2.久しぶりに物が多い実家に帰ったこと。
3.高齢の親戚が多くの所持品を整理せざるを得なくなったが、自身では解決できず、下の世代に頼らざるを得なくなったこと。
全てに共通するのは遺されたり、託されたりする若い世代が時間的、精神的、金銭的な被害?を被るということです。
若い世代といっても遺品を残す世代からの相対的な言い方であり、実際には60~70代という高齢の場合も少なくないのではないでしょうか?
上の世代(親や親戚)を他山の石として自分はできるだけ下の世代に負担をかけないようにしなくてはと思った次第です。
断捨離を後押しすることば
これが無くなった場合、お金を出してもう一度手に入れる?
手放し指標として簡単に答えがでるのでこの言葉で処分することができたものは多いです。
「使っているか」「使っていないか」で判断する方法もありますが「使っている」からと言ってそれを使い続けることが必ずしも正解とは限りません。例えばいつも使っているマグカップが本当は好きでないのに妥協して使っていて、お気に入りのマグカップが食器棚の奥にしまってある場合いつものマグカップは手放してお気に入りのマグカップを使うという選択ができるのです。
これは私に幸福をもたらしてくれるもの?
嫌な思い出と結びついているものは見るたびに気持ちが落ち込みます。
昔の友人からの手作りの品・・・それをやっと手放すことができました。作品をもらってから数年後、その友人と仲違いして交友が絶たれてしまいました。それから30年以上経過していました。
彼女への執着はありませんでしたが、手作りの品であるため処分できなかったのです。箪笥にしまい込んでいましたがそれを目にすると作ってくれた友人への感謝よりも交友が絶たれてしまった辛い思い出がよみがえるのでした。
それをこの度チャリティリサイクルショップに寄付することでようやく手放すことができました。正直、重荷を下ろしたような解放感がありました。
知識を身につけたいと思って購入したもののあまり読まなかった本も処分しました。これも自分の劣等感を象徴する品で見るたびに焦りのような感覚を覚えていました。いまはネットや動画配信サービスで多くのことが学べます。本を所持しなくてもその気になった時に勉強できるのです。
所持しているものの中には自分を幸福にしないものが結構あるように思います。
物が多いと時間とお金と安全を奪われる
探す時間、メンテナンスする時間、掃除する時間、ものが多ければ多いほど時間が奪われます。
ものが多いと管理が行き届かず、あると分かっていてもどこにあるかわからずまた買ってしまうなどお金も無駄になります。また物があるだけで空間を締めるのでそれもお金を使っているのと同じです。賃貸住宅であれば家賃の一部になりますし、持ち家でも固定資産税や家の維持管理費用になっているからです。
物が多いと時間とお金がかかるということはよく言われることですがそれに加え最近気づいたのは、安全を奪われるということです。高齢になりちょっとしたものにつまずくようになりました。物が多いとつい床置きしてしまいそれに躓くことが多々あります。今のところそれで怪我をしたことはありませんがクリアファイルを踏んでしまいヒヤッとしたことがあります。安全が脅かされるのは絶対に避けなければと思います。


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